お父さんが音楽家になるまで~ダメダメな高校生活を変えた入試

皆さんこんにちは!ソングメーカー代表、井村淳也です。
今日もお越しくださり、ありがとうございます!

今回は高校1年生の3学期、かろうじて不登校から立ち直りまた通学を再開した私の、その後の高校生活をお話させて頂きます。

前回もお話させて頂いたように、私は周りの人たちの支えもあり、何とか学校にまた通い始めます。

しかしその時の行き辛さと言ったら・・・
不登校となる前でも、そもそも学校に居場所の無い状態でした。
部活にも入らず、学校のイベントに積極的に参加するわけでもない。
委員会や生徒会などの活動に励むわけでもない。
幽霊部員ならぬ、幽霊生徒のような存在だったのです。
そこへ追い討ちをかけるように不登校になってしまったので、その状態でまた学校に通い始めるのはとても辛いものでした。

それでも何とか毎日通っているうちに、周りの目もそれほど気にならなくなってきます。
最初は周りの人たちも驚いたでしょうが、毎日通ってくるとそのうち慣れてしまうんですね。

相変わらず学校に居場所はありませんが、とりあえず通うことはできるようになったのでした。

新たな学年が始まるも、自堕落な生活は変わらず

そうしているうち、すぐに学年も変わり、クラスも変わりました。
私にとっては、学年の終わり頃に不登校となったのは好都合(と、いうとおかしな言い方ですが)だったのでしょうね。

クラスのメンバーも大きく変わり、中には私の不登校のことを知らない人もいたでしょう。
そんな中、新しい人間関係を作っていくチャンスでもあったと思うのです。

それでも自分の自堕落な生活は変わりませんでした。
相変わらず勉強は全くせず、学校生活は適当に過ごすだけ。
そしてこの頃はアルバイトもしていませんでしたから、ある意味、1年生のときよりもたちが悪い状態だったとも言えます。

事実、この学年で私は3回ほど、赤点をもらっています。
科目は世界史と、生物だったでしょうか。
赤点というのは、要するに落第点ということで、10段階の通信簿の1をつけられること。
」のときだけ、記入された文字が赤字になっているから、赤点なのです。

こうなると追試を受けるなり、先生に出された課題をクリアするなりしないと進級できません。
いわゆる、ダブリ=留年という状態になってしまいます。
実際、そこまでの状況にはならず、追試を受ける等して何とか進級はできたのですが、それでも
お前は落第生候補だ
と宣告されたも同然ですから、普通に考えれば相当にショックな出来事ですよね。
それなのに私は、大して意に介することもなく、相変わらず自堕落な生活を送っていました。

勉強はもちろん、何も頑張らない毎日でした。

最終学年となり、周りの空気が受験ムードに~そして覚醒へ

そして無事、というか何とか3年生に進級した私。
2年生のときに学校で成し遂げたことといえば、文化祭にバンドで出演したことくらいでしょうか。
周りからは
「ダメダメな奴だけど、ギターだけは(無駄に)そこそこうまい」
と見られていたようです。

そんな中、仮にも進学校だった私の高校では、3年生ともなるとさすがに周りは将来のことで一杯という雰囲気になります。
そんな状況でもいまだに勉強もせず、遊びまわっていた私。
今風に言えば「KY」ですね。
当然、周りの人たちからは相手にされなくなってきます。
そんな時、私はあるうわさ話を耳にします。

あいつの取り柄は、ギターしかない。他には何にもできない奴だな。

まあ、確かにそのとおりではあったのですが・・・
でもその言葉は、私の眠っていた何かに確実に火をつけたのです!
悔しかった。同じ学年なのに、ダメな奴だと思われ、見下されている。

俺だってやればできるのに。。。悔しい!

そんな思いで一杯になりました。これが確か3年生の夏頃のこと。
実際、その頃は学年400人中、後ろには数人しかいないというテストの順位でしたから、落ちるところまで落ちていたのですが、そこから私は一念発起いたしました。

みんなを見返したい!

そんな思いが私を突き動かすのでした。
それはまるで、漫画・ドラゴンボールのベジータが自分への悔しさから超サイヤ人に覚醒したように、戦闘力が爆発的に伸びていくのを感じたのです。

そして迎えた実力テスト

そして私は、まるで人が変わったかのように猛勉強を始めます。
夏休みを利用して、まずは休み明けの実力テストをターゲットに毎日勉強に励みました。

この実力テストというのは、学期末テスト等よりは広範囲ですが、教科書等の「○○ページ~○○ページ」という形で、学校側が各教科の範囲をはっきり決めて出すものでした。
言ってみれば「実力(風)テスト」という感じでしょうか。
本番の大学入試が近づいている中、あまり意味がないと取る向きもありましたが、私にとってはまず大逆転のシナリオの序章のような思いで
“ここで一発、いい順位を取ってやろう!”という気概で勉強に取り組んだのです。

結果…
正確には覚えていないのですが、私立文系コースだった私は英語、国語、社会の3教科で、学年で20位以内に入ることができたのでした。
特に科目別ではなんと!国語が学年1位でした。

こちらは今でもはっきり覚えていますが、そのときの国語の先生が2年生のときの担任の先生でして、答案を配るときに
「なんと学年1位は、このクラスにいます・・・男子です!(ドヤ顔で)」
と、嬉しそうに紹介してくれました。

私も手ごたえはあったものの、まさか1位になれるとは思っていなかったので、この時は本当に嬉しかったですね!
答案を私に手渡すときの先生も、とても嬉しそうで。
一瞬でしたが
「お前もやればできるんだな!見直したよ」
と言ってくれているようでした。

そしてその実力テストの順位は廊下に張り出されましたので、相当にセンセーショナルな出来事であったのでしょう。
周りの人たちや、先生までも私に対する見方が大きく変わったのを覚えています。

今まで自堕落に流されるだけの生活を送り続けてきた私。
今回のことを経験し。何かを必死で頑張って、成し遂げたいという思いに強く駆られたのです。
そのためには、やはり高校生である今の自分にできる、一番大切なことは、勉強なんだ。
遅すぎるような気もしますが、ようやくその答えにたどり着きます。
これが、高校3年生の夏休み明けのこと。

そこからは、もう勉強に夢中でした。
やればやっただけ結果が出る、ということを身をもって経験した私は、勉強の虫になりました。

そもそも、直前まで自堕落な生活のお手本のような高校生でしたから、親にも
「俺は高校出たら働くから」
と言っていたので、入試のために予備校に通うようなこともできず、ただひたすら参考書で勉強する日々でした。

というのも、既に学校の授業は入試モードになっています。
実を言うと夏休み明けの実力テストは、はっきりと範囲が決まっていたので、その全体を
「丸暗記する」
という無茶な勉強法で臨んだのでした。記憶力には自信があったのですね。
逆に言えば、内容を理解していないまま、ただ暗記しただけで挑んだ実力テストだったのです。
そしてとりあえずの結果を出すことはできたのですが、大学入試となるともちろん範囲は今まで習ったことのすべてとなります。
私にとって、特に英語などはその頃の授業には全くついていけなかったのですね。
いわゆる「受検英語」で、複雑な構文とか、イディオムとか・・・英語というより「宇宙語」を聞いているかのようでした。
ですから、まずは完全に忘れていた1年生の頃の教科書や参考書から、復習をすることから始めていました。
なんと英語の授業の時間に、先生の目を盗んで1年生の教科書で自習していたほどです。

9月の実力テストで結果を出したものの、まだまだ状況は厳しいものでした。
この時点で既に入試本番まで半年を切っています。
一日、一日が戦いでした。
ピーク時には、3時間ほどまで睡眠時間を削って勉強していた時期もありました。

それでも、その時期になると既に、さまざまな思いが私の中でひとつの形を取り始めていました。
自己嫌悪や、情けなさ、辛かったこと、寂しかったこと。
そんなすべての負の感情が、一気にプラスの方向へとあふれ出し、私を突き動かすのでした。
少しずつ、だけど着実に自分の中で生まれてきた、自分への自信。未来への希望。
そんなプラスの方向です。

大学の一般入試では、基本的に本番のテストの点数でのみ合否が決まります。
これも、私にとっては幸運でした。
当然ですが、推薦などは頂くことは出来ませんでした。
高校入試の時のように内申点など考慮されては、どの大学にも行けなかったでしょうから・・・

とにかく実力をつけて、本番で結果を出すのみだ。
それさえできれば、合格できるんだ。

そんな思いは、私の大きな勇気となったのです。

センター試験で失敗するも建て直し、本命の私立受験へ

そうして少しずつ、でも確実に周りの人たちとの差を縮めながら、知識をつけていった私。
年明け1月の大学入試センター試験には、満を持して臨みました。
私立文系コースだった私でしたが、3科目のセンター試験経由で入れる大学も僅かながらあったのですね。

しかし、実力不足に加え緊張や気負いもあって結果は散々なもの…
もちろん、以前の落第生候補の面影はもうどこにもありませんが、それでも自分の目標とする点数にはとても届かない状況でした。

そもそも私立コースでしたから、本番は翌2月の各大学ごとの入試ではあったのですが、このセンターでの失敗が改めて、自分の現状を見つめなおし、勉強法の修正を余儀なくさせました。
そしてそれが結果的に、良かったのだと思います。
言ってみれば、センター試験が本番私立入試の、前哨戦のような役割を果たしてくれたのでした。

思えばこの頃から、必死に自分の中で何とか解決策を見つけ出そうとすることを身につけていたようです。
自分で目標を明確に定め、その達成のために努力する。
結果が出なければ原因を探り、対応策を講じていく。
このサイクルを、ビジネス用語で
「PDCA」
と言いますが、まさにそのまんまですね。
そんなやり方を自然と身につけていったのだと思います。
色々な参考書を元に、テストでの失敗も繰り返しながら、何とか自分なりの勉強の仕方、どうすれば結果が出せるのかということを模索していきました。

この頃になると、自然と職員室の先生にも相談に行けていました。
ほんの数ヶ月前までは、職員室など怒られるとき以外、足を踏み入れるところではなかったんですけどね・・・(笑)
先生に頂いたアドバイスも参考にしながら、さらに本番に向けて勉強に励みました。
この頃が人生で一番勉強していたと思います。
そんな自分のことが好きだったし、誇りを持っていました。

夜食によく食べた、冷凍食品のキムチチャーハンがとても美味しかったな。
受験生は、よく腹が減るんです。

そして、迎えた2月。私立は4つほど受けましたが、本命は
中央大学
でした。
私にとっては絶対的な第一志望。
学費が一番安かったというのもポイントが高かったです。

当時、私の行きたい学科を擁する大学はそれほど多くなくて、少ない選択肢から選んでいくような形だったのですが、その中でも中央大学は上位に位置していましたから、第一志望とするには十分な目標でした。

どうせ受けるなら、難関校に入りたい。
素直にそう思っていました。
もちろん、偏差値的に上を見ればキリがありませんが、私の中では絶対的な第一志望だったのです。

そして遂に本番を迎えました。
無理がたたってか、風邪をひいてしまうというハプニングもありましたが、私は精一杯自分の力を出すことができたと思います。
そして、結果は見事に合格!

本当に嬉しかったし、自分のやってきたことに対する結果が出ることの満足感は大変大きなものでした。
人生で初めて、必死で努力して掴んだ栄冠だったのです。
何をするにも中途半端で、必死さのない生き方をしていた私。
そんな私が初めて、心から望んで実現したいと願ったこと。

高校入学当初から環境に馴染めず、不登校となり、一時は本気で中退を考えていた。
その後もあれだけ劣等生の見本のような生活を送っていた私が、第一志望に現役で合格できた。
これは今でも、そしてこれからもずっと、私の中で誇りに思えることです。
何かの目標のために、自分の持てる力をすべて出し切って結果を出すことができたのですから。

もし結果が出なかったとしても、その時どれだけ自分が頑張れたか、ということ。
結果云々より、自分の全力を出し切れたかということ。
それがその後の人生を大きく左右するのだと学びました。
結果は、その先についてくるものだったのですね。

今の私は、率直に言って学歴など何の意味ももたない仕事をしています。
極端に言えば、私が高校1年生のときに中退していても、今の仕事をしていた可能性はゼロではありません。

しかし、実際はそうはならなかったと思います。
なぜなら、大学入試という自分にとってはとてつもなく大きな目標を、自分なりの努力で乗り越えたという事実が、今の私にとって大きな財産となっているからです。

あの時頑張れたんだから、きっとやれる。

そんな思いが、私の人生にとって大きな力となったのでした。

もし、このブログを読んでいる人の中に壁にぶつかっている人がいたら、心から伝えたいことがあります。
その壁にぶつかっている間、必死でもがている間、それはすべて無駄にはならない。
すぐに結果が出なかったとしても、何とかしようと努力したという、そのこと自体が、必ず自分自身の力となる。
あの時あれだけ頑張れた、精一杯やれた、という事実が既に、自分を成長させているんだということです。

どんな形であれ、その時の自分にできることを必死にやりぬくことが、きっと、未来につながるのだと思います。

卒業式~サクラは咲いて、新しい世界へ

卒業式を迎えました。
私にとって、人生で一番感動した卒業式です。

今でもはっきりと覚えているのは、会場となった体育館に入るとき、1年生時の担任の先生と目が合い、交わした一瞬のやり取り。以前、不登校になった時に自宅まで説得に来て下さったあの先生です。
私はこの瞬間のことを、今でも忘れることができません。
先生は、私のことをずっと信じてくれていました。

お前は頑張ればできるんだ、俺はずっと信じていたよ。

無言で交わした一瞬のやり取りでしたが、そんな先生の思いが伝わってくるようで、私は卒業式が始まる前から泣いてしまいました。

そして、卒業式の後。
とても穏やかな空気の中、クラスメイトは部活の後輩たちに囲まれ、楽しそうに過ごしていました。
部活に入っていなかった私は、そんな輪の中にはいません。

ですが、その時の私にはもう、それまでの自分の心をずっと満たしてきた寂しさはありませんでした。
精一杯努力できたこと、そしてその結果を出せたこと。
自分が納得できる学校生活の締めくくりができたことの満足感で一杯でした。

そんな形で私は、辛いことの多かった高校生活を終えることができたのです。

そして、この半年の間にも、私のそばには常に音楽がありました。
勉強中に聴いた音楽。
気分転換のときに聞いた音楽。
入試本番、大雪の降る東京、初めて歩く新宿で聞いた音楽。

そんな色あせない大切な記憶とともに、音楽への思いもさらに深くしていったのでした。

むしろこの頃は。

不登校の時のような、辛さを紛らわすための音楽ではなく、頑張る自分への応援歌のような気持ちで聞いていました。
大好きな曲を聴きながら、未来の素晴らしい世界へと思いをはせていました。
そんな風に音楽は、辛いときも、前向きなときも、どんな時でもその時の気持ちに合わせて寄り添ってくれるもの。

そんな音楽の奥深さ、可能性に改めて心惹かれていく思いでした。

新しい、自分と音楽との関係。その先に広がる新しい生活。
さあ、新しい世界へ。新しい自分が始まるんだ。
辛かったたくさんのこと、記憶は全部、置いていこう。
私の心は、そんな希望で満ち溢れていました。

以上、今回の記事はここまでです。
今回も長くなりましたが、最後までお読みくださりありがとうございました!

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お父さんが音楽家になるまで~ダメダメな高校生活を変えた入試” に対して1件のコメントがあります。

  1. ひできち より:

    中央大学合格おめでとうございます。素晴らしいと思います。やる気情熱を感じました。

    1. 井村 淳也 より:

      ありがとうございます。
      私も思わず記事を書いていて熱くなりました!
      この後も続けて書いていきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

  2. 人生、下から目線 より:

    朝一番に 読ませて頂きました。
    不完全燃焼だった 炭が 一気に炎をあげて
    燃え上がるような 高校時代の体験だったのですね♪
    すべての努力は、一切の無駄がなく
    「今」に 繋がっているのですね〜♪

    いつもブログ更新 ありがとうございますm( )m
    by 人生、下から目線

    1. 井村 淳也 より:

      ありがとうございます。若さゆえの情熱だったかもしれませんね。
      実はこの後も、また紆余曲折が続くのですが、追々、書かせて頂きます。
      今後もよろしくお願いいたします!

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