皆さんこんにちは!ソングメーカー代表、井村淳也です。
またお会いできて嬉しいです。
クリぼっち
昨日は、クリスマスでしたが・・・皆さんにも素敵なサンタさんが訪れましたでしょうか?
最近は、一人ぼっちで過ごすクリスマスのことを
「クリぼっち」
と呼び、親しまれているそうですね!
私は学生時代、かなりの
「クリぼっち」
ぶりを満喫していました。
近所のスーパーで一人分のケーキを買っては、家でクリスマスソングを流しながら食べるという、自他共に認めるクリぼっちぶりでした。クリぼっちレベルとしては、上のほうになります。
ところで
「クリぼっち」
というと、私は、スーパーマリオブラザーズに出てくる愛すべき敵キャラ、クリボーの愛称のように思えて仕方ありません。
たまごっち、的な。
なんだか可愛いですね!
さて、前回は
お父さんが音楽家になるまで~ブログ、始めました!
にて、ブログを書き始めた理由についてお話させて頂きました。
今回は、ブログの2つ目の記事ということで、自己紹介をもう少し詳しくさせて頂きたいなと。
私、井村淳也は、1975年5月10日、静岡県清水市で生まれました。
小さいころは、本が好きで、一人遊びが得意な子供だったようですよ。
清水市
というのは、実は今はもう無くなっているんですね。隣の静岡市に合併され、今は
静岡市清水区
となっています。
静岡県のいいところとは
さて皆さん!静岡県といえば、何を思い浮かべますか?
お茶?魚?気候が穏やか?
どれも正解です!漁港も多くあり、静岡のいたるところでおいしい海の幸が食べられますよ。
気候が穏やかというのはただのイメージではなく、実際にそのとおりで、特に冬は雪がほとんど降らないんです。(静岡は東西に長いので、東部は降る地域もありますけどね)
私は18歳まで静岡県で過ごしましたが、その間なんと「一度も」!まともに雪の降った記憶がありません。
だからといって、夏が特に暑いということもなく・・・ほんと、過ごしやすい土地だと思いますね。
また首都圏と愛知に挟まれ、
- 高速道路(東名高速・第二東名)
- 新幹線(東海道新幹線)
- さらに空港(富士山静岡空港)
と交通の便も良く、住みやすい。われながらいい県に生まれたと思います。
お茶もほんと、おいしいんですよね!住んでいた頃はあまり思いませんでしたが、大人になってからたまに静岡でお茶を頂くと、
「静岡茶って、こ、こんなにおいしかったんだ!」と驚愕するほどです。
(楽曲提供させて頂いている、静岡県浜松市のH&A.
オリジナルソング「静岡で会いましょう~West side」)
と、「静岡のいいところ」自慢が長くなりましたが・・・話を進めますね。
(ちなみに、静岡のいいところは、まだまだたくさんありますよっ!)
もしこのブログをご覧の方で、
「日本のどこかに引っ越したいんだけどどこがいいかな?」
とお悩みの方は(いるのか、そんな人?)是非、静岡県をお勧めしますよっ!
・・・と、静岡のことでもうひとつ思い出しました。
(先に進むんじゃなかったのかい!)
清水市といえば、なんと!あの
「ちびまるこちゃん」の舞台でもあるんですね!
私、中学の卒業文集に
「好きなもの:ちびまるこCHAN(←素直に”ちゃん”と書かずに、わざわざローマ字で”CHAN”と書くところがいかにも田舎の中学生らしい)」
と書いているほど、ちびまるこちゃんが好きだったんですよ。いまだに続いている国民的アニメですよね!
清水市出身の一人として、誇らしくなります。
と、「静岡のいいところ」自慢がさらに長くなりましたが・・・今度こそ話を進めますね。
清水市から焼津市へ
そんな素敵な清水市で私は、幼稚園時代までを過ごしまして。
その後は、少し西に行き、焼津市に引っ越しました。
焼津市といえば、皆さん何を思い浮かべますか?
鰹節?さかなセンター?何も思い浮かばない?
どれも正解です!(おいおい)
焼津市は有名な漁港なので特に魚がおいしいですね。また
「焼津さかなセンター」という、いかにも魚の中心地のような名前の施設がありまして、新鮮な魚が買えるんですよね。
でも「さかなクン」とは、多分、関係ありません。
こちらはソングメーカーの公式キャラクター「ソングくん」
ちなみに私、
「焼津市で育ちました」と言うとおよそ20%くらいの確率で聞かれるのは
「お父さん、漁師?」
という質問です。
せっかくですからここで申し上げますが、
わたしの家族に漁師はおりません。
あ、でも同級生には、逞しい海の男がいて焼津市を今日も盛り上げてくれていますよ!
同級生といえば、私の家もかなり海の近くにありましたが、さらに近い海の目の前(それこそ海の家レベル)に住んでいる友達がいました。
なんと!
彼は「魚が苦手」なんです。
先日、久しぶりに一緒に飲んだんですが、四十路を過ぎてなお、相変わらず魚が苦手だそうです。
つまり、好みは人それぞれってことですね!
北海道に住んでいても牛乳が苦手だったり、
愛媛に住んでいてもみかんが苦手だったり、
福岡に住んでいても明太子が苦手だったり、
沖縄(キリがないのでこのへんで)
6・3・3で12年、焼津で過ごした12年
ということで、そんな素敵な焼津市でわたしは高校生までを過ごしました。
小学校~中学校~高校まで、都合12年を過ごしたことになりますね。
生まれてから幼稚園までしかいなかった清水市に比べ、圧倒的にこの焼津市での記憶のほうが多いです。
なので、私にとって静岡での暮らし=焼津市での日々
みたいな感じです。
そんな「焼津っ子」の私ですから、いまだに焼津市の歌を歌えます。サビの盛り上がり(多分、4度から5度への半音進行)がカッコいいんです。
でも、もう焼津を離れて20年以上経ちます。
今はもう、実家は焼津市にはありませんし、帰省してもほとんど立ち寄らなくなってしまいました。
それでも少し前、同じ静岡県のずっと西、浜松まで仕事に行った帰りに焼津市に寄りました。
駅から海のほうへと歩き、子供の頃住んでいた家のあたりまで行ってから、小学校へ。
そんな散策をして、当時を懐かしんできました。
30年ほどの間に、色々なところが変わってしまっていましたね。
子供の数もずいぶん少なくなってしまったとのこと。寂しい限りです。
大人になった今、微力ではありますが、何か少しでも故郷が盛り上がるような手助けができたら嬉しいな、なんて思っています。
ここまで、私の生い立ちについてお話させて頂きました。
長くなりますので、それ以外のことは次回とさせて頂きます。
今回も最後までお読み下さり、ありがとうございました。
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