シンガーとしての悩みと向き合い続けた日々

音楽を仕事にする前は

ソングメーカーを立ち上げるまで私は、長くシンガーソングライターとして活動していました。
といっても、満足に音楽活動ができていたわけではなく、「シンガーとしての自分」に大きな悩みを抱えながらの日々だったんです。

自分の声がどうしてもコンプレックスでした。細い声で喉も弱いため、歌うことは好きなのに、どうしても思い通りの歌を歌えない、表現ができないことがとてもストレスだったんです。日常生活で普通にしゃべることさえ、喉が痛くなってしまうときもありました。また音域の広い楽曲を表現したい自分にとって、地声の低さも大きな悩みとして長く苦しみました。
それで無理して高い声を出し、喉を痛めたり。そんなことはしばしばありました。
カラオケに行っても1番しか歌わないとか…
「何曲も長時間歌っても大丈夫!喉が疲れたりしない!」そんな人がとてもうらやましかったし、生まれつき高い声の人と自分を比べて落ち込んだりもしました。

率直に言って私は、歌が特別に上手ということは無く、声もボーカルには向いていない声でしょう。
自分自身が音楽制作を長く仕事としてたくさんの歌い手さんと出会い、歌声を聞いてきたから分かります。

それでも、音楽が好きだし、歌うことが好きです。

自分の思い描く理想の音楽というものがあって、その曲を作れたとしても、自分が歌うのはまた別の問題でした。
そしてイメージ通りに歌うことができず、苦しい思いをしました。

以前作った楽曲は数十曲ありましたが、それらはすべて自分の中で「無かったこと」にしてしまっていました。

今なら、今だからこそ思える、古くて新しい自分を表現するということ

プロデュースソングメーカーという新しいサイトを立ち上げ、新しいサービスをたくさんの音楽を愛する人に届けていきたいと願う今、もう一度、かつての自分自身、シンガーソングライターとしての井村淳也を表現できたらいいなと、そしてそうすることが同時に、プロデュースソングメーカーでは何ができるのか、音楽をどんな形で届けていけるのかを、お見せできることにもつながるんじゃないかと思ったんです。

自分の中でずっと持ち続けてきた、自分の歌を歌うことへの悩み。
自分の思いを表現できる曲を作って、歌いたい。だけど、それがうまくいかない。
そんな悩みに押しつぶされそうな時期がありました。
ですがそんな時期があったからこそ、自分が「作ることに特化して音楽を極めていこう」と思えたんです。

自分で作った曲は、自分で歌って形にしたい。そんな思いは今でも消えていません。
2018年現在、43歳になりましたが、その情熱は作ったときと変わらずにあるんですね。

だからその情熱を、少しずつ形にしていこうと思ったんです。
プロデュースソングメーカーで扱うサービスのひとつ、アーティスト専用サイト。
その制作例としても見て頂けるよう、私が自らひとりのアーティストとして自分の音楽世界を表現していきます。

例えば、同じように音楽への強い思いを持ちながら、なかなかその表現ができなくて悩んでいる人たちへ。
私の活動を見て、何か少しでも感じていただけるものがあるならば、それはとても嬉しいことなんです。

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