
この記事を読むことで得られること
- オーダーメイドの音楽制作が、なぜ「表現」ではなく「翻訳」と捉えた方が自然なのかを整理できます
- 「自分には才能がない」「うまく表現できない」と感じる人でも、曲作りの出発点に立てる理由が見えてきます
- 言葉や感情、イメージの断片を、どのように音楽として形にしていくのか、その進め方が具体的にわかります
まず結論:オリジナル曲制作は、特別な才能を持つ人だけの「表現」ではなく、すでに自分の中にある言葉や想いを音へ置き換えていく「翻訳」のプロセスです。
音楽は「表現」だと思っていませんか?
オリジナル曲を作ってみたい。
自分の言葉を、ちゃんとした歌にしてみたい。
そう思ったことがある方は、決して少なくないと思います。
ですがその一方で、
「自分には表現する才能がない」
「音楽を作る人は、何か特別な感性を持っている人だ」
そう感じて、止まってしまう方も多いのではないでしょうか。
実際、私のもとにご相談くださる方の中にも、
「言葉はある。でも、自分には曲にする力がない気がする」
とおっしゃる方は少なくありません。
その背景には、
「曲を作るとは、自分を強く表現することだ」
という前提があるように感じています。
たしかに一般的には、音楽は「表現」として語られることが多いものです。
作り手の個性、感性、オリジナリティ。
そうしたものを前面に出してこそ、曲になる。
そんなイメージを持たれやすいのだと思います。
ですが、私は1,200曲以上の制作を通して、少し違う実感を持つようになりました。
私はこれまで、
音楽の専門家ではない方、
趣味で言葉を書いている方、
「なんとなくこんな感じにしたい」という断片だけを持っている方と、数多く向き合ってきました。
そしてそのたびに感じてきたのは、
音楽は、必ずしも“自分を強く出せる人”のためのものではないということです。
むしろ大切なのは、
その人の中にすでにある言葉や気持ち、景色や願いを、
どうすれば音として成立する形にできるか、ということでした。
私は今、音楽制作の本質は「表現」よりも、翻訳に近いと考えています。
このあと、その理由を順番に整理していきます。
「自分には才能がないから無理」ではなく、
なぜ言葉があれば曲になるのか。
その視点から、オリジナル曲制作の本質を見直していきます。
多くの人が誤解している「音楽=表現」という考え
音楽は「表現である」とよく言われます。
作り手の内側にある感情や想いを、音として外に出していくもの。
自分の感性や個性をそのまま形にするもの。
そうしたイメージを持たれている方は多いと思います。
もちろん、その捉え方自体が間違っているわけではありません。
ただ、この「音楽=表現」という前提をそのまま当てはめると、
あるところで矛盾が生まれます。
それは、依頼を受けて曲を作るという行為です。
もし音楽が完全に「自分の内側から出すもの」だとしたら、
他の人のために曲を作ることは成立しません。
なぜなら、そこにあるのは自分の感情ではなく、
相手の言葉や想いだからです。
ですが実際には、
依頼を受けて作られた曲の中にも、
「これが自分の曲だ」と感じられるものは確かに存在します。
私はこれまで1,200曲以上の制作を行ってきましたが、
その多くは「自分の表現を出すための曲」ではなく、
誰かの中にあるものを形にするための曲でした。
ここで重要なのは、
「自分を出すこと」が前提になっていると、
多くの人にとって音楽が遠いものになってしまうという点です。
「強い個性がないといけない」
「何か特別なものを持っていないといけない」
そう感じた瞬間に、曲作りは一気に難しくなります。
実際、ご相談を受ける中でも、
「自分には出せるものがない気がする」
という言葉を聞くことは少なくありません。
ですが、その前提自体が違っているとしたらどうでしょうか。
音楽が「表現」であることを前提にするのではなく、
別の捉え方で見たときに、もっと自然に成立する方法があるとしたら。
ここで少しだけ、その違和感を持っていただければ十分です。
次の章で、その正体を具体的に見ていきます。
1,200曲の現場で見えてきた現実
私はこれまで、作曲・編曲あわせて1,200曲以上の制作に携わってきました。
その中で何度も確かめてきたことがあります。
それは、依頼者の多くは音楽のプロではないという、ごく当たり前の事実です。
楽器が弾けるわけではない。
音楽理論を知っているわけでもない。
メロディをきちんと説明できるわけでもない。
そういう方がほとんどです。
実際にいただくのは、
完成した楽譜や明確な設計図ではありません。
・心に残っている言葉
・書きかけの歌詞
・「こんな感じにしたい」というイメージ
・なんとなく切ない、明るい、力強いといった感覚
そうした断片であることの方が圧倒的に多いのです。
そして私は、その断片を受け取るたびに思ってきました。
曲作りは、最初から完成形が見えている人だけのものではない。
むしろ、まだ形になっていないものをどう扱うかの方が、はるかに重要なのだと。
私はこれまで、
「歌詞が三行しかない」
「テーマだけ決まっている」
「自分でも何を言いたいのか完全には整理できていない」
そんな状態から始まった制作を何度も経験してきました。
それでも、曲は成立してきました。
なぜなら、音楽制作に必要なのは、
最初から整った材料ではなく、
その人の中にすでにあるものを受け取ることだからです。
私はこの現場を長く続ける中で、
「音楽の知識がある人だけが曲を持てる」という考えは、現実とはかなり違うと感じるようになりました。
実際には、言葉でも、断片でも、イメージでも、
出発点としては十分なのです。
そしてその事実こそが、
私が「音楽は表現というより翻訳に近い」と考えるようになった、最も大きな理由でもあります。
「自分には表現する力がない」と感じているなら、
それは“出せていない”のではなく、
“形にする方法が分からないだけ”かもしれません。
音楽は「翻訳」である、という結論
ここまでの話を踏まえて、私は今、音楽制作の本質をこう捉えています。
音楽は「表現」である前に、「翻訳」である。
もちろん、作り手自身が自分の内側を音にする音楽もあります。
ですが、依頼を受けて曲を作る現場では、それだけでは説明がつきません。
なぜなら、そこにある出発点は、私自身の感情ではなく、
依頼者の中にすでにある言葉や気持ち、景色や願いだからです。
たとえば、書かれた言葉があります。
その言葉を、ただ読むだけの状態から、音として流れる形にしていく。
これは、言葉を音に置き換える作業です。
また、依頼者の中にある感情があります。
切なさ、まっすぐさ、あきらめきれなさ、明るさ、静けさ。
そうした目に見えないものを、メロディの起伏や流れとして置き換えていく。
これは、感情をメロディに翻訳する作業です。
さらに、
「夜の駅前みたいな感じ」
「春の終わりの空気感」
「少し昭和っぽい雰囲気」
そんなイメージがあるときには、曲の構成やテンポ、イントロや楽器の配置へと変換していきます。
これは、イメージを構成に翻訳する作業です。
つまり制作の現場で行っているのは、
何もないところから作り手が自分の表現を生み出すことよりも、
すでに相手の中にあるものを、音楽という形式に置き換えることなのです。
私はここに、オリジナル曲制作の本質があると感じています。
「作る」という言葉だけで捉えると、
何かをゼロから生み出さなければいけないように見えます。
けれど実際には、依頼者の中にはすでに材料があります。
言葉がある。
感情がある。
イメージがある。
必要なのは、それを音楽として成立する形へ置き換えることです。
だから私は、オリジナル曲制作を
“作る”というより、“翻訳する”行為として考えています。
なぜ自分でやろうとすると難しいのか
ここまで読んで、
「なるほど、翻訳だと考えれば分かりやすい」
と感じていただけたかもしれません。
ではなぜ、それでも多くの人が自分だけでは止まってしまうのでしょうか。
理由の一つは、自分の中にあるものを、自分では客観的に見にくいからです。
自分にとっては当たり前すぎる言葉や感情ほど、
どこが核なのか、どこを前に出すべきなのかが分からなくなります。
本当はとても大切な一言なのに、
本人にとっては自然すぎて、通り過ぎてしまうこともあります。
逆に、すべてが大事に思えてしまって、
どこに山を作るべきか決められなくなることもあります。
つまり、自分の内側にあるものをそのまま持っているだけでは、
「何をどう形にするか」の判断が難しいのです。
もう一つの理由は、音に変換する技術は別の領域だからです。
言葉を持っていることと、
その言葉をメロディにし、構成を作り、
聴ける形に整えることは、似ているようでまったく別の作業です。
たとえば、
この一行を高い音で持ち上げた方がいいのか、
あえて低く置いた方が切なさが出るのか。
ここでテンポを動かすべきか、静かに流すべきか。
こうした判断は、言葉を書く力とは別の技術と経験を必要とします。
私は長く制作を続ける中で、
ここを一人で全部やろうとすると苦しくなる方が多いことを何度も見てきました。
言葉を持っている人がいて、
それを音楽に置き換える人がいる。
この役割分担があることで、
はじめて無理なく形になるケースは本当に多いのです。
私はこのとき、必要なのは「代わりに作る人」というより、
翻訳者だと考えています。
依頼者の中にあるものを読み取り、
それを音として成立する形へ置き換える役割。
それがあることで、
言葉はただの断片ではなく、作品として外に出ていけるようになります。
だからこそ、分業には意味があります。
全部を自分でやらなければいけないのではなく、
自分の中にあるものを持ち寄り、
それぞれの役割で形にしていく。
その方が、結果として自然で納得感のある曲になることが多いのです。
翻訳としての制作プロセス
「翻訳」と聞くと、少し難しく感じるかもしれません。
ですが、実際の進め方はそれほど複雑ではありません。
まず最初に行うのは、言葉やイメージを共有していただくことです。
完成した歌詞がある場合はもちろん、
書きかけの言葉でも構いません。
あるいは、
「こういう気持ちの曲にしたい」
「少し切ない感じにしたい」
といったイメージだけでも十分です。
次に、その内容をもとに方向性を整理していきます。
どんな温度感の曲にするのか。
明るいのか、静かなのか。
まっすぐ進むのか、少し余韻を持たせるのか。
ここで、曲全体の輪郭を少しずつ見える状態にしていきます。
方向性が見えてきたら、メロディや構成を設計していきます。
どの言葉をどこで活かすのか。
どこで盛り上げるのか。
どんな流れで聴かせるのか。
その人の中にあるものを、音楽として自然に成立する形へ置き換えていきます。
そして最後に、調整や修正を重ねます。
最初の形で完成とするのではなく、
「もう少しこうしたい」
「ここはこう感じる」
といったやり取りを通して、納得感のあるところまで整えていきます。
この流れを見ると分かるように、
必要なのは最初から全部が揃っていることではありません。
言葉でも、イメージでも、断片でもいい。
それを共有し、整理し、形にしていく順番があるだけです。
つまり、オリジナル曲制作は
「特別な才能がある人だけが一人で完成させるもの」ではなく、
順番に進めていけば形になるプロセスです。
そう考えると、思っているほど難しいものではありません。
「自分には無理かもしれない」を、そのままにしていませんか
この記事を読んで、
「自分の中にも、曲にできるものがあるのかもしれない」
と感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ですが多くの場合、その段階で
「でも自分には無理だろう」と止まってしまいます。
音楽は、“何か特別なものを出せる人”だけのものではありません。
すでに自分の中にある言葉や感情を、どう形にするかの問題です。
今ある言葉や気持ちを整理してみる
下のフォームは、「メールアドレス」と「お名前」「一言」だけで送れます。
まだ整理できていなくても、そのままで大丈夫です。
- 言葉やイメージはあるが、どう形にすればいいかわからない
- 自分にできるのか分からず止まっている
- まずは可能性だけ知りたい
あなたの中にあるもの整理フォーム
※営業は一切行いません。まずは、今の状態にある言葉や気持ちを整理するところからご一緒します。
ソングメーカー代表
井村淳也が直接お話を伺います。
井村淳也のスタンス|自分の表現を押し付けないために
私は音楽制作をするとき、自分の表現を前に出しすぎないことを強く意識しています。
もちろん、作る側としての技術や判断は必要です。
ですが、それ以上に大切なのは、相手の中にすでにあるものを、きちんと受け取ることだと考えています。
私はこれまで1,200曲以上を制作してきましたが、
いつも中心にあるのは「自分が何を言いたいか」ではなく、
依頼者が何を伝えたいのかでした。
そのため、最初から自分の色を強く押し付けることはしません。
まずは言葉を聞く。
イメージを受け取る。
まだ整理しきれていない部分も含めて、
その人の中にあるものを一つずつ引き出していく。
私は、その工程をとても大切にしています。
音楽サイトの自己紹介ページでも、
私は「常にお客様の立場になれるように、親切丁寧な対応を心がけております」と書いています。
この姿勢は、記事の中だけの言葉ではなく、制作の現場でも変わりません。
また、制作方針としても、
シンプルで耳に残るメロディを大切にしながら、
メロディラインを軸に楽器選択や音色作り、編曲を行ってきました。
それも結局は、作り手である私のためではなく、
相手の中にあるものが最も自然に届く形を探すためです。
そして、形になったあとも、
「これでいい」と納得できるところまで整えていく。
私はその感覚をとても大切にしています。
一度作って終わりではなく、
本当にその人の曲として成立しているか。
違和感はないか。
もっと近づける余地はないか。
そうしたことを見ながら、納得感のあるところまで持っていく。
それが、私にとっての制作です。
だから私は、音楽制作を「自分の作品を発表する場」とは考えていません。
むしろ、相手の中にあるものを丁寧に翻訳し、納得できる形で届ける仕事だと考えています。
まとめ|音楽は「表現」ではなく「翻訳」から始まる
ここまで見てきたように、
音楽制作は必ずしも「自分を強く表現すること」から始まるものではありません。
むしろ実際の現場では、
すでにその人の中にある言葉や感情、イメージを、音に置き換えていくこと、
つまり「翻訳」に近い形で進んでいきます。
特別な才能がある人だけが曲を持てるのではなく、
言葉がある時点で、出発点には立っているということです。
そして、その言葉を音楽として成立させるためには、
すべてを一人でやる必要はありません。
言葉を持っている人がいて、
それを音に変換する役割があり、
構成を整える工程がある。
そうした流れを通ることで、曲は自然に形になっていきます。
ですから、
「まだ整理できていない」
「うまく説明できない」
そう感じている状態でも問題ありません。
むしろ、その段階こそがスタートです。
言葉がある。
イメージがある。
少しでも「こうしたい」という気持ちがある。
それだけで、素材としては十分です。
あとは、それをどう形にしていくかという工程があるだけです。
音楽を「表現しなければならないもの」と捉えるのではなく、
自分の中にあるものを、音として外に出していく流れとして捉えると、
曲作りはぐっと現実的なものになります。
今の状態のままで大丈夫です。
すでにあるものをもとに、次の工程へ進めていくことができます。
ここまで読んで、
少しでも「自分の中にも材料はあるのかもしれない」と感じた方へ。
まだ言葉がまとまっていなくても、
イメージがぼんやりしていても問題ありません。
その状態からでも、形にしていくことはできます。
「これでも曲になるのだろうか」
そんな一言からでも構いません。



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