井村淳也について|音楽家、事業家、そして中小企業診断士

井村淳也について|音楽家、事業家、そして中小企業診断士

ソングメーカー代表・制作者の井村淳也です。

2008年にソングメーカーを立ち上げてから、2026年までに1,300曲以上のオーダーメイド楽曲を制作してきました。
この18年間、音楽を作るだけでなく、一つの事業としてソングメーカーを運営し、お客様とのやり取りやサービスづくり、Webでの発信や集客、経営そのものにも向き合ってきました。

そして現在は、音楽制作事業を続けながら、中小企業診断士として企業の経営支援にも携わっています。

井村 淳也(いむら じゅんや)の3つの視点

  • 音楽家:19歳から独学で作曲を始め、1,300曲以上のオーダーメイド楽曲を手掛ける
  • 事業家:2008年創業。18年間、無借金・黒字経営でソングメーカーを継続
  • 中小企業診断士:2024年登録。経営支援と音楽制作の双方から企業・人に伴走

今の私を表すなら、音楽を作る「音楽家」、18年間事業を続けてきた「事業家」、そして経営を体系的に学び企業を支援する「中小企業診断士」という3つの視点があります。

ただ、最初から3つの肩書きを持っていたわけではありません。

すべての出発点にあったのは、音楽でした。
音楽に惹かれ、自分でも曲を作るようになり、その音楽を仕事にしたいと考え、やがてソングメーカーを立ち上げました。

事業を続ける中で経営について考えるようになり、さらに学びを深めた先に、中小企業診断士という新しい視点が加わりました。

それぞれは別々の経歴ではなく、一つの人生の中で、少しずつ積み重なってきたものだと感じています。

音楽家として始まり、事業を続ける中で経営を学び、今は3つの視点を持って人や企業と向き合っています。

すべての出発点は、音楽でした

今の私には、音楽家、事業家、中小企業診断士という3つの視点があります。
けれど、その一番最初にあったのは、経営でも仕事でもありません。

すべての出発点は、音楽でした。

音楽に強く惹かれるようになったのは、小学生の頃です。
学校の授業で聴いた音楽に心を動かされ、少しずつ「音楽を聴くこと」そのものが、自分にとって特別なものになっていきました。

そして14歳頃、エレキギターと出会います。
好きな曲を聴くだけだったところから、自分でも音を出し、演奏する側へ。

さらに音楽にのめり込んでいくうちに、やがて「人が作った曲を演奏するだけではなく、自分自身でも曲を作ってみたい」と思うようになりました。

19歳頃からは、本格的に作曲に取り組み始めます。
当時、身近に作曲を教えてくれる人がいたわけではありません。音大や音楽の専門学校を出たわけでもありません。
音楽理論を独学で学びながら、世の中で多くの人に聴かれている曲を何度も聴き、メロディやコード進行、曲の構成などを自分なりに分析していきました。

なぜ、このメロディは耳に残るのだろう?
なぜ、ここで気持ちが高まるのだろう?
どうして、この曲は何度も聴きたくなるのだろう?

そんなことを考えながら、多くの音楽を聴き、自分でも曲を作ることを繰り返していきました。
最初から音楽家になるための明確な道筋が見えていたわけではありません。

ただ、作れば作るほど、音楽を聴くことだけではなく、自分の中にあるものを音として形にすることに強く惹かれていきました。
そうして少しずつ、「音楽が好きな人」から、「音楽を作る人」へと変わっていったのだと思います。

今の仕事の始まりは、肩書きでも事業計画でもなく、ただ音楽を作りたかったことでした。

音楽が、自分の居場所になった時期

音楽に強く惹かれていった一方で、人との関係や、自分自身の生き方について悩む時期もありました。
中学時代にはいじめを経験し、高校では学校へ通うことが難しくなり、不登校の時期もありました。

人とうまく関われない。
自分がどこにいればいいのか分からない。
この先、何をして生きていけばいいのかも見えない。

そんな感覚を抱えながら、家にいる時間が増え、外の世界との距離が大きくなっていった時期もあります。
自分自身に自信を持てず、将来について前向きに考えることも簡単ではありませんでした。

けれど、その中でも音楽だけは、自分のそばにあり続けました。

好きな音楽を聴く。
ギターを弾く。
少しずつ、自分でも曲を作ってみる。

そうして音楽に触れている時間には、うまく言葉にできない気持ちを、そのまま抱えていてもいいように感じることがありました。
音楽がすべてを解決してくれたわけではありません。

それでも、音楽を聴いたり、演奏したり、作ったりすることで、少しだけ前を向けることができた。
自分にもまだできることがあるのかもしれないと思えた。

振り返れば、この経験は、後に音楽を仕事にしたいと思う気持ちにもつながっていったのだと思います。
自分が音楽から受け取ったものがあったからこそ、いつか自分も、音楽を通して誰かに何かを返せたらいい。

そんな感覚が、少しずつ自分の中に生まれていきました。

音楽は、仕事になる前に、自分自身を支えてくれたものでした。

この時期のことや、そこから音楽家を目指すようになるまでの歩みについては、私が音楽家になるまでで、より詳しくお伝えしています。

19歳から、本格的に曲を作り始めました

ギターを弾き、音楽を聴くだけだった私が、本格的に作曲へ向かい始めたのは19歳頃でした。

もちろん、最初から曲の作り方が分かっていたわけではありません。

音楽理論について書かれた本を読み、コードやメロディの仕組みを学びながら、実際に世の中にある多くの曲を聴いて、自分なりに分析することを繰り返しました。

  • メロディは、どのように動いているのか。
  • コードが変わると、なぜ曲の印象が変わるのか。
  • Aメロ、Bメロ、サビは、どのようにつながっているのか。
  • どこで楽器が増え、どこで引き算されているのか。

好きな曲をただ楽しんで聴くだけでなく、「なぜこの曲は、こう聞こえるのだろう」と考えながら聴くようになっていきました。

そして、学んだことを自分の曲で試してみる。
思ったような曲にならなければ、また別の曲を聴き、考え、作り直す。

そうしたことを繰り返しながら、少しずつ作曲だけでなく、アレンジや音作りについても学んでいきました。
使う楽器や制作環境も徐々に広がり、ギターだけではなく、さまざまな音を組み合わせながら、一曲を自分で形にしていくようになりました。

また、特定のジャンルだけに絞るのではなく、さまざまな音楽を聴き、さまざまなタイプの曲を作ってきました。
当時は、それが将来オーダーメイドで音楽を作る仕事につながるとは考えていませんでした。

けれど振り返れば、ジャンルを限定せず、いろいろな音楽に触れながら試行錯誤を続けた時間が、現在のソングメーカーで求められる一人ひとりの希望に合わせて音楽を変えていく柔軟さの土台になっています。

そして何より、この頃から私は、誰かに依頼されたからではなく、作りたいと思った曲を何度も作り続けてきました。

人のために音楽を作れるようになる前に、自分のための音楽を長い時間作り続けてきました。

若い頃から現在まで、私自身が作ってきた楽曲については、私が作ってきた音楽でご紹介しています。

音楽家になる前に、9年間会社員として働きました

音楽を仕事にしたいという思いは持っていましたが、大学を卒業してすぐに音楽家として独立したわけではありません。
卒業後は会社員となり、独立するまでのおよそ9年間、組織の中で働きました。

毎日決まった時間に会社へ行き、与えられた仕事に取り組み、上司や同僚と関わりながら働く。
音楽とはまったく違う世界で、社会人として仕事をする時間が続きました。

もちろん、その間に音楽への思いがなくなったわけではありません。

仕事をしながらも曲を作り続け、いつか音楽を仕事にしたいという気持ちは、自分の中に残り続けていました。

一方で、現実の仕事と、自分が本当にやりたいこととの間に距離を感じることもありました。
思い通りにならないこともありましたし、「このままでいいのだろうか」と考えることもありました。

それでも、会社員として働いた9年間は、今振り返れば決して音楽から遠ざかっていただけの時間ではありません。

  • 一人では完結しない仕事があること。
  • 組織には、それぞれ違う立場や考え方を持った人がいること。
  • 自分の思いだけでは物事が進まないこと。
  • そして、仕事として誰かの期待に応えること。

そうしたことを、実際に組織の中で働きながら経験しました。
この経験は、後にソングメーカーを一つの事業として運営するようになってからも、自分の中に残っています。

さらに現在、企業のための音楽を作ったり、中小企業診断士として企業支援に携わったりする中でも、自分自身が会社員として組織の中で働いた経験は、企業やそこで働く人たちを考える一つの土台になっています。

そして会社員として働いている間も、音楽を作ることだけはやめませんでした。
すぐに夢を実現できたわけでも、迷わず音楽だけを選び続けられたわけでもありません。

音楽家としての道は、一直線ではありませんでした。

33歳で、ソングメーカーを始めました

約9年間の会社員生活を経て、2008年、33歳のときに独立し、ソングメーカーを始めました。
音楽を作ること自体は、それまでにも長く続けてきました。

けれど、独立するということは、それまでとはまったく意味が違いました。
自分が作りたい音楽を作るだけではなく、誰かから依頼を受け、その人が必要としている音楽を形にしていく

そして、その仕事を一度きりではなく、事業として続けていく。

そこから、ソングメーカーとしての歩みが始まりました。

もちろん、独立した当時から、将来1,300曲以上を制作することになると想像していたわけではありません。
大きな組織や店舗を持って始めたわけでもありません。

Webを通じて自分の仕事を知っていただき、全国から少しずつご依頼をいただく。
そして、一件一件のお客様とやり取りをしながら、その方の希望に合わせてオーダーメイドで音楽を作っていく。
その積み重ねでした。

同じような依頼が続くわけでもありません。
作りたい曲のイメージも、好きな音楽も、曲を必要とする理由も、人によってまったく違います。

だからこそ、自分が作りたいものを押し出すのではなく、まず話を聞き、その人が求めているものを考えながら音楽にしていくことが、ソングメーカーの仕事になっていきました。

独立することには、不安もありました。

それでも、自分が長く続けてきた音楽を、今度は仕事として続けていく。
その覚悟を持って、一つひとつのご依頼に向き合ってきました。
振り返れば2008年は、単に独立した年だっただけではありません。

「音楽を作る人」から、「音楽を仕事として続ける人」へ変わった瞬間でした。

1,300曲以上を作っても、音楽の正解はひとつではありませんでした

2008年にソングメーカーを始めてから、これまでに1,000名以上のお客様と向き合い、1,300曲以上のオーダーメイド楽曲を制作してきました。
ご依頼くださる方の年齢も、住んでいる地域も、音楽を必要とする理由もさまざまです。
自分自身の曲を作りたい方もいれば、チームで踊るための曲を必要としている方、大切な人へ想いを届けたい方、企業や組織の想いを音楽にしたい方もいます。

そして、それだけ多くの方と音楽を作ってきて、強く感じるようになったことがあります。

音楽の正解は、人によって本当に違うということです。

私自身が「こちらの方が格好いい」「この展開の方が音楽的には良い」と感じたとしても、それが依頼してくださった方にとっての正解とは限りません。

明るい曲が好きな人もいれば、少し切ない曲を求める人もいます。
華やかなアレンジを好む人もいれば、できるだけシンプルな音を望む人もいます。

作り手には作り手の感覚があります。

けれど、オーダーメイドの音楽制作で本当に大切なのは、作り手の正解に依頼者を合わせてもらうことではありません。

その人が何を求めているのかを聞き、その人にとっての正解へ近づけていくことだと考えるようになりました。

だから私は、制作前のヒアリングだけでなく、制作途中でも音源を確認していただき、ご希望を伺いながら仕上げていくことを大切にしています。
修正についても、単に間違いを直す工程だとは考えていません。
実際に音を聴いて初めて、「もう少しこうしたい」「ここは思っていたものと少し違う」と気づくことがあります。
その言葉を聞き、もう一度音楽に反映する。

そうしたやり取りそのものが、オーダーメイドで一緒に音楽を作るための大切な工程だと思っています。
振り返れば、私の制作力を育ててくれたのは、音楽の勉強や自分自身の制作経験だけではありません。

1,300曲以上の制作で出会った、お客様一人ひとりの言葉や希望から教えていただいたことが、今の私の大きな土台になっています。

経験を重ねるほど、音楽を作る仕事には「作る力」だけでは足りないことも分かってきました。

相手の話を聞くこと。
言葉になりきっていない希望を考えること。
違いを否定せず、相手が求める方向を探していくこと。

今では、そうした「聞く力」もまた、音楽を作るための大切な力だと考えています。

曲数が増えるほど、自分の正解を押しつけないことの大切さを学びました。

1,300曲以上の制作を通して得てきた気づきについては、1,300曲以上の制作から教えてもらったことで、さらに詳しくお伝えしています。

18年間、音楽家であると同時に事業家でもありました

ソングメーカーを始めてから18年間、私は音楽家として曲を作り続けてきました。

ただ、独立して仕事を始めてから必要だったのは、音楽を作る力だけではありませんでした。

お客様からお問い合わせをいただき、ご希望を伺い、制作を進め、完成した音楽をお届けする。
その一つひとつを仕事として成立させるためには、音楽以外のことにも自分で向き合う必要がありました。
お客様とのやり取りはもちろん、Webサイトを作り、自分の仕事を知ってもらうための情報を発信し、どうすれば必要としている方に見つけてもらえるのかを考える。

サービスの内容を見直し、価格を考え、制作の進め方を改善し、経理を行う。
うまくいかなければ原因を考え、また少し変えてみる。

そうしたことを繰り返しながら、ソングメーカーという事業を少しずつ形にしてきました。

特にWebは、私にとって単なる宣伝の手段ではありません。
大きな広告に頼るのではなく、自分が何を考え、どのような音楽を作り、どのような姿勢で依頼に向き合っているのかを、自分の言葉で発信する。
その情報を見つけてくださった方からご依頼をいただき、また一つ仕事を積み重ねる。

ソングメーカーは、長い間そうした形で事業を続けてきました。

もちろん、18年間ずっと同じやり方だったわけではありません。
お客様の反応を見ながらサービスを変え、Webサイトを作り直し、制作の仕組みを見直すなど、何度も改善を重ねてきました。

音楽が好きだったから続けられたことは間違いありません。

けれど、それだけで18年間事業を続けることはできなかったとも思っています。

好きな音楽を、誰かがお金を払って依頼してくださる仕事として成立させ、その状態を続けていくこと。

それもまた、独立してから私がずっと向き合ってきたテーマでした。
結果として、ソングメーカーは18年間、事業として黒字を続け、借入に頼らず運営してきました。

これは何かを誇るための数字というより、音楽制作を一時的な活動ではなく、継続できる仕事として積み重ねてきた結果だと受け止めています。

そして、この18年間の経験があったからこそ、私は次第に「音楽をどう作るか」だけでなく、「事業をどう続けるか」「価値をどう届けるか」「お客様に選ばれるとはどういうことか」といった経営そのものにも関心を持つようになりました。

音楽を作る力と、音楽を仕事として続ける力。その両方を18年間育ててきました。

経営を、もう一度きちんと学びたくなった

ソングメーカーを長く続ける中で、私は少しずつ、音楽そのものだけではなく「事業をどう続けていくか」ということにも強く関心を持つようになりました。
18年間、実際に自分で事業を運営してきたことで、集客、価格、顧客対応、サービス設計、資金の管理など、経営について考える場面は数多くありました。

その一方で、長く続けてきたからこそ、経験だけで判断していることも少なくないと感じるようになりました。
自分なりに試行錯誤してきたことを、今度は経営という体系の中できちんと学び直してみたい。

そして、自分の事業だけではなく、さまざまな企業や経営者が抱える課題についても、より深く考えられるようになりたい。

そんな思いから、中小企業診断士を目指すようになりました。
学ぶ中では、財務や会計、マーケティング、経営戦略、組織、人材など、これまで実務の中で断片的に向き合ってきたことを、改めて体系的に捉えることになりました。

すると、自分が18年間続けてきたソングメーカーという事業についても、以前とは少し違った角度から見ることができるようになりました。

  • なぜこのサービスを選んでいただけるのか。
  • どのような価値を提供しているのか。
  • 事業を続けるためには、何を残し、何を変えていくべきなのか。

それまで感覚的に考えていたことを、経営の言葉で整理できる場面が増えていきました。

そして2024年、中小企業診断士として登録しました。

現在はソングメーカーで音楽制作を続けながら、それとは別に、中小企業診断士として企業の経営支援にも携わっています。
音楽家とはまったく別の仕事が突然加わった、という感覚ではありません。
自分自身が長く事業を続ける中で感じてきた疑問や課題を、もう一度きちんと学び直した先に、経営という新しい視点が加わったという方が、私自身の感覚には近いと思います。

18年間の実践に、経営というもう一つの言葉と視点が加わりました。

音楽家 × 事業家 × 中小企業診断士

現在の私には、音楽家、事業家、中小企業診断士という3つの視点があります。

ただ、自分の中では、この3つを別々の仕事や人格として切り分けているわけではありません。

最初にあったのは、音楽家としての視点です。
人の気持ちを考え、それをメロディや音、言葉、アレンジによって表現する。
目には見えない感情を、音楽という形にしていく。

これは、19歳頃から曲を作り続けてきた中で、ずっと向き合ってきたことです。

そこに、ソングメーカーを始めてから事業家としての視点が加わりました。

良い音楽を作るだけでは、仕事として続いていくとは限りません。

  • 誰がその音楽を必要としているのか。
  • どのような価値を感じていただけるのか。
  • どのようなサービスなら安心して依頼していただけるのか。
  • そして、それをどうすれば長く続けられるのか。

18年間、自分自身で事業を運営してきたことで、音楽を作る側だけではなく、お客様やサービス、価値、継続という視点からも物事を見るようになりました。

そして現在は、そこに中小企業診断士としての視点も加わっています。

経営戦略、マーケティング、組織、人材、財務などを体系的に学び、企業支援に携わる中で、目の前に見えている出来事だけではなく、その背景にどのような課題や構造があるのかを整理して考えるようになりました。

特に企業や組織のための音楽を作るときには、この3つの視点が強く重なります。

音楽家として、想いを音にする。
事業家として、その企業がお客様や社会にどのような価値を届けているのかを考える。
中小企業診断士として、理念や組織、採用、人材、経営課題まで含めて背景を捉える。

そうすることで、単に「企業のための曲を作る」だけではなく、その企業が何を大切にし、誰に何を伝えたいのかまで考えながら音楽と向き合うことができます。

一方で、すべての音楽制作に中小企業診断士としての視点を持ち込むわけではありません。

たとえば、自分自身のオリジナル曲を作りたい方や、大切な人へ音楽を贈りたい方にとって重要なのは、経営理論ではありません。
その方の言葉を聞き、好きな音楽を知り、どんな気持ちを形にしたいのかを一緒に考えることです。

だから私は、肩書きを使うこと自体を目的にはしていません。
必要な場面で、それぞれの経験や視点を使う。

そして、その中心にあるものは今も変わりません。

誰かの中にある想いを聞き、その人にしかない音楽へ変えていくこと。

音楽家も、事業家も、中小企業診断士も、今の私にとってはそのために使える視点の一つです。

3つの肩書きを持っているのではなく、18年間の経験の上に3つの視点が重なっています。

今、音楽づくりで一番大切にしていること

長く音楽を作ってきた今、私が一番大切にしているのは、単に上手い曲を作ることではありません。
もちろん、作曲やアレンジの技術を高め、より良い音楽を作ることは大切です。

けれど、オーダーメイドで音楽を作る仕事では、作り手の技術や音楽性を見せることだけが目的ではないと考えています。
私自身が「こうした方が格好いい」「こういう音楽を作りたい」と思うことがあったとしても、それをそのまま依頼してくださった方に当てはめればよいわけではありません。

まず、その方の話を聞く。

  • どんな音楽が好きなのか。
  • なぜ、この曲を作りたいと思ったのか。
  • 誰に届けたいのか。
  • どんな言葉や気持ちを大切にしたいのか。

そこにある一つひとつの言葉をできるだけ丁寧に受け取りながら、その人にとっての音楽を考えていきます。
制作が始まってからも、作り手だけで完成を決めてしまうのではなく、実際に音源を聴いていただきながら、一緒に完成へ近づいていくことを大切にしています。

「ここをもう少しこうしたい」という言葉があれば、それも大切な制作材料です。

作り手にとっての正解を押しつけるのではなく、やり取りを重ねながら、その人自身が「これが自分の曲だ」と感じられるところまで近づけていく。
それが、私の考えるオーダーメイドの音楽制作です。
完成したときに、作曲家である私の個性ばかりが強く残るのではなく、そこに依頼してくださった方の言葉や気持ち、その人らしさが残っている。
そんな音楽を作れたときに、この仕事の意味を強く感じます。

そして18年間、この仕事を続けてこられたのは、音楽を必要としてくださる方がいたからです。
自分一人で曲を作っているだけでは、今のソングメーカーはありませんでした。
数ある選択肢の中から私を見つけ、人生やチーム、企業、大切な人への想いを託してくださる。

そのことへの感謝は、制作を重ねるほど大きくなっています。

自分が何を作りたいかより、その人が何を音楽にしたいのか。今はそこを一番大切にしています。

ソングメーカーが音楽づくりで大切にしている考え方については、私たちが大切にしていることでご紹介しています。

また、その考え方を実際の制作の仕組みとしてどのように守ってきたのかは、18年間変えなかったことで詳しくお伝えしています。

50歳になった今、思うこと

若い頃の私にとって、大きな目標は「音楽家になりたい」ということでした。

自分で曲を作り、それを仕事にして生きていく。
当時は、それが実現できれば、自分の人生は大きく変わるように感じていたのだと思います。

そして33歳で会社員を辞め、ソングメーカーとして独立した頃には、もう少し具体的に「音楽で食べていくこと」が目標になりました。
好きな音楽を仕事にするだけではなく、その仕事を続け、自分の生活を成り立たせていく。

依頼がなければ仕事にはなりません。
曲を作るだけでなく、自分で仕事を見つけ、お客様に選んでいただき、一つの事業として続けていかなければなりません。

そうして一件一件の仕事を積み重ねているうちに、18年という時間が経ちました。
50歳になった今、若い頃とは少し、目標の意味が変わってきたように感じています。

以前は「自分が音楽家になること」が大きな目標でした。

けれど今は、自分が音楽家であることを証明したいとか、自分自身が目立ちたいという気持ちよりも、自分が持っている音楽の力を使って、誰かの中にあるものを形にしたいという思いの方が強くなりました。

  • その人がずっと大切にしてきた言葉。
  • チームのみんなで共有している想い。
  • 会社がこれからも受け継いでいきたい理念。
  • 大切な人へ伝えたい気持ち。
  • そして、一人の人が生きてきた人生そのもの。

そうしたものを聞き、その人にしかない作品として残していくことに、今は大きな意味を感じています。

もちろん、これからも自分自身の音楽を作り続けたいと思っています。
誰かのためではなく、自分が作りたいと思った音楽を自由に作る時間は、今でも私にとって大切なものです。
同時に、これまでと同じように、人のための音楽も作り続けていきたい。

自分の音楽と、人の想いから生まれる音楽。
どちらか一方ではなく、その両方がこれからも自分の人生の中にあればいいと思っています。

さらに今は、中小企業診断士として企業の経営を支援するという、若い頃には想像していなかった仕事も加わりました。

音楽制作と経営支援は、一見するとまったく違う仕事です。

けれど、相手の話を聞き、その人や企業が大切にしていること、困っていること、これからどうしていきたいのかを一緒に考えるという点では、どこか共通しているところもあるように感じています。

これから先、自分が何曲作るのか、どのような仕事をしているのかは分かりません。

ただ、これまで出会ってきた人たちの想いや、自分自身が作ってきた音楽、18年間仕事を続ける中で得てきた経験を、これからの仕事や作品の中に少しずつ残していきたいと思っています。

音楽家になることが夢だった頃から、音楽とともに生き続けることへ。今はそんな感覚に変わっています。

もっと深く、井村淳也の歩みを知りたい方へ

ここまで、現在の私について、音楽家、事業家、中小企業診断士という3つの視点からご紹介してきました。

ただ、今の自分ができるまでには、ここだけでは書ききれない時間や出来事があります。

音楽との出会いから、音楽家を目指すようになった過程。
会社員として働きながら音楽を続けた時間。
2008年にソングメーカーを始めてから、18年間積み重ねてきたこと。
そして、1,300曲以上の制作や事業運営を通して、少しずつ変わってきた考え方。

もし、もう少し深く知っていただけるようでしたら、以下のページもご覧ください。

 

私が音楽家になるまで
音楽との出会い、いじめや不登校を経験した時期、会社員生活、独立まで。今の仕事につながるまでの個人的な歩みをまとめています。

私が音楽家になるまでを見る →

ソングメーカー18年の歩み
2008年の創業から現在まで、ソングメーカーがどのように歩み、仕事やサービスがどのように広がってきたのかをご紹介しています。

ソングメーカー18年の歩みを見る →

私が作ってきた音楽
仕事としての制作以前から、自分自身のために作ってきたオリジナル楽曲をご紹介しています。

私が作ってきた音楽を聴く →

1,300曲以上の制作から教えてもらったこと
1,000名以上のお客様と向き合う中で学んできた「作る力」と「聞く力」の大切さについてまとめています。

1,300曲以上の制作から教えてもらったことを読む →

中小企業診断士としての井村淳也
経営支援における考え方や経歴について、ソング中小企業診断士事務所の代表紹介ページでご紹介しています。

中小企業診断士としての井村淳也を見る (外部サイト) ↗

企業や組織の想いを音楽にする
音楽家、事業家、中小企業診断士という3つの視点が特に強く重なる社歌・事業PRソング制作についてご紹介しています。

社歌・事業PRソングメーカーを見る →

音楽家として歩いてきたことも、事業を18年間続けてきたことも、経営を学ぶようになったことも、私の中ではすべて一つの時間の上につながっています。

それぞれのページを通して、今の井村淳也がどのようにできてきたのかを、もう少し深く知っていただけたらうれしく思います。 

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